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大橋美加のシネマフル・デイズ ブログトップ
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"大橋美加のシネマフル・デイズ”No.241『孤独な天使たち』 [大橋美加のシネマフル・デイズ]

2012年 イタリア映画 ベルナルド・ベルトルッチ監督『孤独な天使たち』
(Io e Te)
 
『ラスト・エンペラー』(’87)でオスカー9部門に輝き、
ベルトルッチは”巨匠”となった。
美加はそれ以前に『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(’72)や
『1900年』(’76)を名画座で観ていたから、何となく意外だった。
今は亡き淀川長治先生がベルトルッチについて語ってくれたことは、
”ア”の項の『暗殺の森』(’70)で記したので参照あれ。きっと、真実。
 
本作はベルトルッチの遺作。
淀川先生の言葉どおり、ハリウッドを経て母国イタリアで、
”大作”ではない作品を撮り、永眠した。
 
孤独な天使たち (2).jpeg 孤独な天使たち.jpeg
 
ヘッドフォンを付けたニキビ面の14歳の少年。
よく見つけたなあ、この顔、と感心する。山犬みたいな顔つき。
そして現れる、かなり年上の如何にも不良少女の成れの果てみたいな女。
少年の異母姉とわかってくる。
 
姉弟それぞれの事情が皮肉にも重なり、
居ずまいの悪い共存が余儀なくされてゆく。
孤独な魂を抱えた弟と、心までは冒されていない異母姉の行く先は・・・?
 
救われる者と救いの神から見放される者。
若者たちに残酷な選別を施すベルトルッチ。
ラストを見据え、救われる者になって欲しい、
それがベルトルッチの遺言なのだろうか。

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”大橋美加のシネマフル・デイズ”No.240『恋するシャンソン』 [大橋美加のシネマフル・デイズ]

1997年 フランス映画 アラン・レネ監督『恋するシャンソン』
(ON CONNAIT LA CHANSON)
 
数ヶ月まえだったか、専門誌の編集者をしている倅から
「実家にマリエンバートあったよね?」とLINEあり。
もちろん、アラン・レネ監督作品
『去年マリエンバートで』(’61)のDVDがあるかという意味。
「DVD探したが無くてね、昔のVHSならあるわ」と返信。
原稿に引用したいとかで訪れ、VHSを鑑賞してそそくさと帰っていった。
想像が脳裏を駆けめぐり、様々な解釈が可能な、
”難解”という言葉では言い捨てられない稀有な一作である。
 
”難解映画の巨匠”と呼ばれた時代もあったアラン・レネが、
75歳にして作り上げた本作には、思わず吹き出してしまう!
男女7人の人間模様がカラフルにコミカルに描かれ、
ハリウッド・ミュージカルとは違った意味で、セリフ代わりに有名シャンソンが、
俳優たちの口から口パクでこぼれ落ちる仕掛けになっているのだから・・・
 
恋するシャンソン (2).jpeg 恋するシャンソン.jpeg
 
監督夫人であるサビーヌ・アゼマほか、アンドレ・デュソリエ、
ピエール・アルディティ、ランベール・ウィルソン、
ジェーン・バーキンなど、映画ファンが喜ぶ芸達者が並ぶ。
 
人生で一番たいせつなことは何だろう?
他人に良く思われること?
ゴージャスな家に住むこと?
”難解”アラン・レネだけに、
あたかもサブリミナル・ショットの如く、
或る生物(笑)も映像に挿入、
最後の最後まで観客を煙に巻く。いいねえ!
91歳で亡くなるまで、
精力的に映画製作をしたアラン・レネの作品群、
お見逃しなく!

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"大橋美加のシネマフル・デイズ”No.239『小早川家の秋』 [大橋美加のシネマフル・デイズ]

1961年 日本映画 小津安二郎監督『小早川家の秋』
 
「スズメ百まで踊り忘れず」と、亡き祖母がよく言っていたっけ・・・
本作は”ウ”の項で紹介した『浮草』(’59)同様に、
小津の数少ないカラー作品(6作)のなかの一作であり、
京都は伏見の造り酒屋の悲喜こもごもである。
 
妻に先立たれた当主は、家庭を取り仕切る長女の目を掻いくぐり、
ひょいひょいっと着物を着がえ、ひょこひょこ出かけてゆく。
とぼけた表情が似合うまさに”タヌキ親爺”中村鴈治郎扮する当主の
行き先に待つのは、浪花千栄子扮する、嘗てのお妾さんである。
 
小早川家の秋.jpeg 小早川家の秋 (2).jpeg
 
現代劇でもお歯黒みたいに見える浪花千栄子の口元。
子どものころ、彼女の顔が怖くてしかたなかった。
色っぽくて怖い小母さんというイメージの、個性派女優である。
 
しっかり者の長女に新珠三千代、
芯の強い長男の未亡人に原節子、
お人形のような次女に司葉子、
そして、憎々し気な演技で場をさらう杉村春子。
 
小早川家の秋 (3).jpeg
 
昔の「をんな」たちは、只々我慢していただけじゃない。
踊り疲れて倒れていく「をとこ」たちを嗤いながら、
心に炎を隠し持って生き抜いたんだなあ。
火葬の煙に人間の業(ごう)が混じる、
ラスト・シーンも忘れ難い名作。

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"大橋美加のシネマフル・デイズ”No.238『ゴッホ』 [大橋美加のシネマフル・デイズ]

1990年 英・仏・蘭合作映画 ロバート・アルトマン監督
『ゴッホ』(Vincent &Theo)
 
アートだいすきの身ゆえ、画家の人生を描いた多くの映画を観てきたが、
作品数に於いて、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを凌ぐ画家はいない。
貧困・悲惨・悲哀と劇的な要素を挙げて韻が踏めてしまうだけでなく、
やはり映画作家なら、あの色彩とタッチを映像化してみたいと思うのだろう。
 
しかしながら、ジャズと育ち”アメリカ”の群像劇を創り続けたロバート・アルトマンが、
ヴィンセントと弟テオの物語を撮るとは意外だった。
公開時にちいさな試写室で観たが、
流石はアルトマン、出だしが揮っている。
このファースト・シーンだけで
他の”ゴッホ映画”に思いきり差をつけているから、
どうか、お見逃しなく!
 
ゴッホ.jpeg ゴッホ (2).jpeg
 
薄暗い部屋で、浮浪者のような身なりで絵を描くヴィンセント。
きちんとした服装で窓辺に立つテオは、
伯父の画廊に勤め、兄を支援し続けている。
 
アルトマンは群像劇を得意とした映画作家であり、
”ウ”の項で『ウエディング』(’78)を紹介したので、参照あれ。
エピソードは星の如く散りばめるが、クドクドと説明しない。
ヴィンセントとテオのゴッホ兄弟に関しても、
観客の想像に概ねを委ねたつくりとしている。
人物を描ききることで物語った点が、
本作が絵画的な秀作となった所以かも知れない。
 
ヴィンセントには、当時20代にして天才の片鱗が見えるティム・ロス。
テオには、当時”第二のルパート・エヴェレット”と呼ばれていたポール・リース。
向日葵の黄色が、麦畑の黄色が、あなたを襲う。逃げられるか・・・?

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”大橋美加のシネマフル・デイズ”No.237『午後の曳航』 [大橋美加のシネマフル・デイズ]

1976年 日・英合作映画 ルイス・ジョン・カリーノ監督
『午後の曳航』
(The Sailor who fell from Grace with the Sea)

淡い午後の光、きらめく海と船、
淡緑色の草地で蠢く赤いブレザーの少年たちの遠景。
戦慄のラスト・シーンである。

なぜ、映画の中で悲恋に身をやつすシングル・マザーは、
一人息子を抱えているのだろう。
ヒロインが恋に挑むためのお膳立てとして、
子どもがいないのでは安易であるし、
もし娘が一人の場合は女同士のコミューンが成立し、
孤独に心を閉ざす女のイメージが壊される。
かくして、嘗て愛した男の面影を宿す息子を一人持った母親が必要になるのだろう。

午後の曳航 (2).jpeg 午後の曳航.jpeg

言葉を失うほど美しい夕焼けの海が徐々に暗くなり、
海を臨む邸から主人公の少年ジョナサンが抜け出すシーンから映画は始まる。

秘密クラブを作り、メンバーを番号で呼び、
セックスの体位写真を品評したり、
小動物を虐待したりする少年たち。
未亡人であるジョナサンの母が逞しい船乗りと知り合うことで、
少年たちの行為はエスカレートしてゆく。

原作を手がけた三島由紀夫は、
お涙頂戴的な映画を「芸術で最も易しいこと」と評したと聞く。
全く同意見だが、「泣けない残酷さ」はどう受け止めれば良いのだろうか。

未亡人にサラ・マイルズ、
船乗りにクリス・クリストファーソン、
そして、13歳のジョナサンを演じたジョナサン・カーンの
長い睫毛に縁どられた妖しい瞳!

名手ダグラス・スローカムが映し出す、
ロケ地ダートマスの圧倒的な景観も忘れ難い。

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